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平成(へいせい)9年(9ねん)7月(7がつ)1日(1にち)鎌倉市教育研究所(かまくらしきょういくけんきゅうじょ) 編集(へんしゅう)・発行(はっこう)
かまくら教育(きょういく) No.147 特集(とくしゅう)テーマ 思い出(おもいで)に残(のこ)る子(こ)ども達(たち) に掲載(けいさい)された文章(ぶんしょう)を、児島先生(こじませんせい)のご厚意(こうい)でサイトへ掲載(けいさい)させて頂(いただ)ける事(こと)になりました。
ありがとうございます。
【特別寄稿(とくべつきこう)】
グロリア少年合唱団(しょうねんがっしょうだん)創立(そうりつ)のころ
グロリア少年合唱団(しょうねんがっしょうだん)指導顧問(しどうこもん) 児島百代(こじまももよ)
学校(がっこう)から帰(かえ)れば毎日(まいにち)のように塾(じゅく)へ通(かよ)い、余暇(よか)にはパソコンを自由(じゆう)に操(あやつ)り、タマゴッチで子育(こそだ)て遊(あそ)びをし、人気(にんき)ゲームソフトに長(なが)い列(れつ)を作(つく)り─――私(わたし)は子供達(こどもたち)の姿(すがた)を見失(みうしな)ってしまいそうな悲(かな)しさを感(かん)じている。
これが私(わたし)の心の中(こころのなか)に大切(たいせつ)に抱(だ)いてきた子供(こども)の姿(すがた)である。そこで音楽教育者(おんがくきょういくしゃ)としての私(わたし)は、戦争(せんそう)、戦災(せんさい)を境(さかい)に日本人(にほんじん)の生活(せいかつ)も美意識(びいしき)も変(か)わってきたとはいえ、美(うつく)しい音楽(おんがく)に心(こころ)の底(そこ)から揺り動(ゆりうご)かされるような自然(しぜん)で純粋(じゅんすい)な感受性(かんじゅせい)を子供(こども)の中(なか)に育(そだ)てたいと思(おも)った。
そんな時(とき)私(わたし)の目(め)の前(まえ)にグロリア少年合唱団(しょうねんがっしょうだん)が現(あらわ)れたのである。大学(だいがく)を卒業(そつぎょう)してすぐ北鎌倉女子学園(きたかまくらじょしがくえん)の音楽教諭(おんがくきょうゆ)として勤(つと)めていた私(わたし)が男の子(おとこのこ)たちと関(かか)わるようになったのは二十六才(26さい)の時(とき)グロリア少年合唱団(しょうねんがっしょうだん)のお手伝(てつだ)いを頼(たの)まれた時(とき)である。当時(とうじ)慶応大学経済学部(けいおうだいがくけいざいがくぶ)の学生(がくせい)だった吉井継太郎氏が市内(しない)の男の子(おとこのこ)を呼び集(よびあつ)めて少年合唱団(しょうねんがっしょうだん)を発足(ほっそく)させ半年(はんとし)経(た)った頃(ころ)の事(こと)であった。団員数(だんいんすう)の増加(ぞうか)によって高学年(こうがくねん)と低学年(ていがくねん)を分(わ)けないと練習成果(れんしゅうせいか)が上(あ)がらないという事(こと)で、社会教育活動(しゃかいきょういくかつどう)に関心(かんしん)のあった私(わたし)が入(はい)り小学校(しょうがっこう)一年(いちねん)から三年(さんねん)を担当(たんとう)した。
吉井氏(よしいし)は当時(とうじ)大学生(だいがくせい)という若(わか)さでありながら、男子(だんし)の教育(きょういく)に対(たい)する理念(りねん)は筋(すじ)が通(とお)っており、初(はじ)めて子供(こども)、しかも男子(だんし)の教育(きょういく)に関(かか)わった私(わたし)にとって大変勉強(たいへんべんきょう)になった。最初(さいしょ)は吉井家(よしいけ)の広間(ひろま)で合唱練習(がっしょうれんしゅう)が行(おこな)われていたが、私(わたし)が入(はい)った低学年(ていがくねん)クラスを分(わ)けるようになったため、清泉小学校(せいせんしょうがっこう)の御好意(ごこうい)で日曜日(にちようび)の午前中(ごぜんちゅう)に教室(きょうしつ)を貸(か)していただく事(こと)になった。朝九時(あさ9じ)から昼(ひる)までの間(あいだ)に休憩(きゅうけい)が一回(1かい)、その時(とき)全員(ぜんいん)グランドに整列(せいれつ)して服装(ふくそう)のチェック―――ズボンの折目(おりめ)はついているか、白(しろ)いワイシャツの衿(えり)は清潔(せいけつ)か、紺(こん)のベレー帽(ぼう)はきちんとかぶれているか、木(き)の十字架少年合唱連盟(じゅうじかしょうねんがっしょうれんめい)のバッジは胸(むね)についているか、膝下(ひざもと)の白(しろ)いソックス、黒(くろ)の革靴(かわぐつ)は磨(みが)いてあるか、ハンカチとティッシュがポケットに入(はい)っているか(紳士(しんし)のたしなみである・・・・と)練習日(れんしゅうび)の往復(おうふく)に寄り道(よりみち)をしてはいけない、バスの中(なか)では男の子(おとこのこ)だから立(た)っていなさい等々(などなど)。指導者(しどうしゃ)に深(ふか)い愛情(あいじょう)があればどんな厳(きび)しい規則(きそく)でも子供達(こどもたち)に守(まも)らせるのは何(なん)でもないこと、むしろ子供達(こどもたち)は勇(いさ)ましく男(おとこ)らしい気分(きぶん)で喜(よろこ)んでいたようだ。反面(はんめん)楽(たの)しいレクリエーションもあった。月一回(つき1かい)練習終了後(れんしゅうしゅうりょうご)お弁当(べんとう)持(も)ちで午後(ごご)のひととき、清泉小(せいせんしょう)の体育館(たいいくかん)をお借(か)りしてバスケットボールに興(きょう)じた。小学校(しょうがっこう)一年(いちねん)から中学生(ちゅうがくせい)まで入り交(いりま)じってボールを取(と)り合(あ)う。球技(きゅうぎ)の好(す)きな私(わたし)も中(なか)に入(はい)り中学生(ちゅうがくせい)とわたり合(あ)って―――一年(いちねん)位(ぐらい)経(た)った或(あ)る日(ひ)、ボールを持(も)った私(わたし)の前(まえ)に妨害(ぼうがい)で手(て)を広(ひろ)げた中学生(ちゅうがくせい)の見上(みあ)げるような身長(しんちょう)に目(め)を見張(みは)ったものである。その彼(かれ)が大人(おとな)になってから「あの頃(ころ)先生(せんせい)が僕(ぼく)たちと一緒(いっしょ)にバスケットで遊(あそ)んでくれたのがすごく嬉(うれ)しかった」と言(い)ってくれた。
成長期(せいちょうき)の子供(こども)の心理(しんり)を垣間見(かいまみ)た気(き)がする。
その後(ご)練習場(れんしゅうじょう)は本拠(ほんきょ)のカトリック雪の下(ゆきのした)教会(きょうかい)に戻(もど)り、腰(こし)を据(す)えて練習(れんしゅう)できるようになり、東京(とうきょう)のコンサートや演奏旅行(えんそうりょこう)にも出(で)るようになった。当時(とうじ)ウィーン少年合唱団(しょうねんがっしょうだん)、パリ木(き)の十字架少年合唱団(じゅうじかしょうねんがっしょうだん)などが度々(たびたび)来日(らいにち)し、そのボーイソプラノの美(うつく)しさが日本人(にほんじん)の心(こころ)を奪(うば)っていたが、それはあくまでヨーロッパの伝統(でんとう)として受け入(うけい)れていたのであって、男の子(おとこのこ)だけを集(あつ)めた合唱団(がっしょうだん)というものは残念(ざんねん)ながら日本(にほん)の教育(きょういく)の中(なか)では理解(りかい)されていない部分(ぶぶん)が多(おお)かった。「男(おとこ)らしさ」「女(おんな)らしさ」という言葉(ことば)が示(しめ)すように、当時(とうじ)家庭(かてい)も教育界(きょういくかい)も男の子(おとこのこ)には勇壮活溌(ゆうそうかっぱつ)な強(つよ)さを求(もと)めていた。「男の子(おとこのこ)が歌(うた)う?男子(だんし)だけの合唱団(がっしょうだん)???歌(うた)うなんて女の子(おんなのこ)みたい・・・・」というのが一般的概念(いっぱんてきがいねん)であった。男の子(おとこのこ)は野球(やきゅう)、サッカーに夢中(むちゅう)になっているのが自然(しぜん)とされ、親(おや)もそれで安心(あんしん)していた時代(じだい)である。小学校(しょうがっこう)一年(いちねん)から中学(ちゅうがく)・高校生(こうこうせい)まで男の子(おとこのこ)ばかり百余(ひゃくよ)名(めい)集(あつ)めて合唱(がっしょう)していたグロリア少年合唱団(しょうねんがっしょうだん)の存在(そんざい)は稀少価値(きしょうかち)があったといえよう。しかし私(わたし)たちが「
少年合唱団(しょうねんがっしょうだん)」にこだわったのは、音楽的(おんがくてき)にそれ程(ほど)素晴(すば)らしいものを男子(だんし)が天(てん)からあたえられているからなのである。男子(だんし)と女子(じょし)では声帯(せいたい)のつくりが生来(しょうらい)違(ちが)っていて、男子(だんし)は『天使(てんし)の声(こえ)』と言(い)われるように頭声(とうせい)の響(ひび)きが柔(やわ)らかで美(うつく)しく、特(とく)にヨーロッパの大聖堂(だいせいどう)で少年(しょうねん)が歌(うた)うと天(てん)から降(ふ)ってくるようでその天使(てんし)の声(こえ)は信仰(しんこう)のたすけになったに違(ちが)いない。グロリア少年合唱団(しょうねんがっしょうだん)も八年(8ねん)前(まえ)ローマ、アッシジに演奏旅行(えんそうりょこう)した時(とき)大聖堂(だいせいどう)でこの「美(うつく)しい声(こえ)が降(ふ)ってくる」体験(たいけん)をしたのである。あのいたずらっ子(こ)たちがあの時(とき)は本当(ほんとう)に天使(てんし)に思(おも)えた記憶(きおく)がある。
さてこの合唱団(がっしょうだん)が一九五九年(1959ねん)の創立(そうりつ)以来(いらい)このように伸(の)びてこられたのは、確固(かっこ)としたとした教育方針(きょういくほうしん)、指導者達(しどうしゃたち)や父母(ふぼ)の献身的努力(けんしんてきどりょく)、少年合唱(しょうねんがっしょう)の音楽的魅力(おんがくてきみりょく)、変声(へんせい)してもテノールバスを受け持(うけも)てる事(こと)、
OBを中心(ちゅうしん)に男声合唱団(だんせいがっしょうだん)を編成(へんせい)して子供(こども)から大人(おとな)まで一生(いっしょう)の友人(ゆうじん)が出来(でき)る事(こと)、この合唱団(がっしょうだん)の中(なか)から育(そだ)った指揮者(しきしゃ)が戻(もど)ってきた事(こと)等(など)種々(しゅ
しゅ)の要素(ようそ)があると思(おも)う。
こうしてこの少年合唱団(しょうねんがっしょうだん)は生え抜(はえぬ)きのOB松村努団長兼(まつむらつとむだんちょうけん)指揮者(しきしゃ)の熱意(ねつい)、愛情(あいじょう)、音楽的力量(おんがくてきりきりょう)そして組織力(そしきりょく)によってその活動(かつどう)がゆるぎないものとなった。松村氏(まつむらし)の幼(おさな)い頃(ころ)から人間(にんげん)として音楽家(おんがくか)としての成長(せいちょう)を見守(みまも)ってきた私(わたし)にとって感無量(かんむりょう)のものがある。他(ほか)にも私(わたし)の周囲(しゅうい)には一生(いっしょう)のつき合(あ)いとなる筈(はず)のボーイソプラノのなれの果(は)てがたくさんいて大家族(だいかぞく)のようだ。
さてこのような合唱団(がっしょうだん)のプロフィールを背景(はいけい)にして、ここで思い出(おもいで)に残(のこ)る子供達(こどもたち)との合宿生活(がっしゅくせいかつ)を一部(いちぶ)紹介(しょうかい)してみよう。
母親(ははおや)を離(はな)れた子供達(こどもたち)と生活(せいかつ)を共(とも)にする合宿(がっしゅく)は様々(さまざま)な体験(たいけん)を通(とお)して子供達(こどもたち)と感動(かんどう)を分け合(わけあ)い、我々大人(われわれおとな)が子供達(こどもたち)から教(おし)えられる貴重(きちょう)な場(ば)でもある。特(とく)に軽井沢(かるいざわ)の恵泉塾(けいせんじゅく)での素朴(そぼく)な生活(せいかつ)には忘(わす)れられぬ思い出(おもいで)が数多(かずおお)くある。
- 合唱練習(がっしょうれんしゅう)(林(はやし)の中(なか)の屋根(やね)の下(した))
ボーイソプラノの柔(やわ)らかな美(うつく)しい響(ひび)きは小鳥(ことり)たちも大好(だいす)き―――或(あ)る日半音階(ひはんおんかい)のボーカリーズを歌(うた)っていた時(とき)、いつのまにかまわりの灌木(かんぼく)にいろいろな小鳥(ことり)があつまってきてピーチクパーチク大合唱(だいがっしょう)になっていた。
- 皿洗(さらあら)い(団員(だんいん)の当番制(とうばんせい))
小(しょう)・中学校(ちゅうがっこう)の男子(だんし)にとってこれは大仕事(おおしごと)である。或(あ)る日(ひ)・・・・「皿洗(さらあら)いは楽(たの)しいなソレ!!」平林先輩(ひらばやしせんぱい)の歌声(うたごえ)。「サラアライハタノシイナ、ソレ!!」嬉々(きき)として復唱(ふくしょう)する子供達(こどもたち)。「家(いえ)へ帰(かえ)ってもやりたいなソレ!!」「ウチヘカエッテモヤリタイナソレ!!」母親(ははおや)が聞(き)いたら感涙(かんるい)に咽(むせ)ぶだろう。子供(こども)の心理(しんり)をうまく捕(と)らえた素晴(すば)らしい発想(はっそう)に脱帽(だつぼう)した。この歌(うた)の発案者平林先輩(はつあんしゃひらばやしせんぱい)はその後(ご)カトリックの神父(しんぷ)になった。
- ターザンごっこ
北軽井沢(きたかるいざわ)には当時(とうじ)まだ原生林(げんせいりん)がのこっていてその大自然(だいしぜん)の中(なか)に子供達(こどもたち)を伸(の)びのびと遊(あそ)ばせるのがこの合宿(がっしゅく)のメインテーマであった。鉈(なた)、鋸(のこぎり)、ロープ等(など)を持参(じさん)し手頃(てごろ)の蔦(つた)でぶらんこを作(つく)ってターザンごっこを始(はじ)める。自然(しぜん)に還った子供達(こどもたち)の生(い)きいきした声(こえ)が深(ふか)い森(もり)の中(なか)に響(ひび)く。無理(むり)をし過(す)ぎてぶらんこから転落(てんらく)し腕(うで)を折(お)った子供(こども)がいた。指導者(しどうしゃ)は責任(せきにん)を感(かん)じて病院(びょういん)で手当(てあて)をしてからご両親(りょうしん)にお電話(でんわ)すると「男の子(おとこのこ)がターザン遊(あそ)びをして怪我(けが)をする位(くらい)の元気(げんき)がなくては困(こま)ります。腕(うで)だけの事(こと)でしたら気(き)にしないで下(くだ)さい。若(わか)いからすぐ元通(もとどお)りになりますよ」と逆(ぎゃく)に力付(ちからづ)けられてしまった。この原生林(げんせいりん)も開発(かいはつ)のためなくなってしまった。
最後(さいご)にグロリアの『六(むっ)つの誓(ちか)い』を紹介(しょうかい)させていただきたい。
(一(ひとつ))グロリアは神(かみ)に忠実(ちゅうじつ)で立派(りっぱ)な少年(しょうねん)となるよう努力(どりょく)します。
(二(ふたつ))グロリアは良(よ)い歌(うた)を愛(あい)し悪(わる)い歌(うた)をなくすよう努力(どりょく)します。
(三(みっつ))グロリアはいつも清潔(せいけつ)で心身共(しんしんとも)に健全(けんぜん)であるようつとめます。
(四(よっつ))グロリアはいつも礼儀正(れいぎただ)しく目上(めうえ)の人(ひと)を尊敬(そんけい)し年下(としした)の人(ひと)にもやさしくします。
(五(いつつ))グロリアはいつも元気(げんき)で勇気(ゆうき)と誇(ほこ)りを持(も)つよう努力(どりょく)します。
(六(むっつ))グロリアはいつもまじめで世の中(よのなか)のためになる事(こと)をします。
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